気になる言葉があって辞書を引いてみたのだが、基本的には意味自体に大きな差は (少なくとも現在は) ないのだと知って驚いた。
弟子、門下生、と行った言い回しのことである。なにかをAさんから学んだという事実があれば、その人はAさんの弟子という言い方で (とりあえず) 間違いではなさそうである。※ちなみに生徒というのは主に中学、高校生を指し、小学生は児童、大学生は学生なのだそうです。
まあ、国語上の意味はともかくとして、ジャンルによってその世界特有の意味合いが存在することは確かで、いわゆる芸人の世界において、弟子や門下生から見たときの師匠という存在は、同じ世界の中で同時に複数いることは考えにくい。※いわゆる破門になって、何人かの師匠のもとを渡り歩いている方はおられますが、これにしても同時ではありません。
で、マジックの世界ではどうなのかというと……明確に説明してくれた方はいないのだが、弟子と門下生を比較した場合、弟子の方が (良くも悪くも) お互い (師匠と弟子) の責任が重く、それに対して門下生という表現は軽いようである。マジックをAさんに習ったならば、その人はAさんの門下生ということらしい。
ただし、この《習う》というのがまた微妙で、ここに解釈の違いが生じることが多い。例えば (マジックの世界でいう) レクチャーに一度でも参加したら門下生なのか? テレビで種明かしを見たら門下生なのか? ビデオで学んだらその講師の門下生なのか? 多分それはあるまい。これでは世の中門下生だらけである。
一つのルーティンであったり、技術や哲学をそれなりの時間をかけて“直に”学ぶためには、教える側と教わる側に、それなりの信頼関係がなければならないのだと思う。つまり誰それの弟子ですとか、師匠ですというからには、それなりの覚悟がなくてはならない。少なくともお互いにそのように呼び合うことを認め合っていなくてはならないだろうということだ。
最近“先生”と呼ばれる機会が多くなった。正直にいうとこれは好きではない。かなり苦手である。しかしながら、講習会をやっていることは確かであるし、実際カルチャーセンターなどでは一般的に講師を先生と呼ぶことは定着している。
それなりに歳をとったこともあるし、これはもう仕方があるまい。しかし弟子ですとか、門下生ですといわれると、これはどうしても違和感を感じざるをえない。つまり先生と生徒という単語であれば、普通真っ先に連想するのは小、中、高校のことであり、場合にもよるが、先生にしても生徒にしても、同時に何人もの人間と付き合うことになり、言葉的には単純にポジションを示すものとしてとらえられているのに対し、師匠(親方)と弟子、門下生というと、上記の私の考えもふくめて、かなり状況が限定される感じがするからだ。
ところで私自身は苦手なのだが、世の中には先生とか、師匠とか呼ばれたいという人種の方も当然いる。また、自分は○○の弟子なのだといいたがる方も存在する。なにか一つでも教わろうものなら、いつのまにか 「あいつは俺の弟子だ」 そういわれていることもあれば、教わった方でも堂々と 「あの人の弟子です」 という人がいる。これが相思相愛ならばさほど問題はない。問題はそうではないときである。
さて、きりがないので今回はここら辺にしておきたいのだが、ここまでの話しはあくまでも前提である。この続きはおそらく大抵の方の予想とは、まったく違った展開になるであろうことを予測しておく。ただしその続きをいつ書くのかは自分でも分からない。 まあ気まぐれでそのうちに。
最後にひとつだけ。私にはただの一人も弟子は存在しません。
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