カップ&ボール再考 2

「カップ&ボールのプロットを、大抵の観客はすでに知っている」と考えているのは、奇術家だけです。

人類最古の奇術…… なんてことをいわれておりますので、なんとなくそう思っているだけのことでしょう。

実際、これほどテレビを通して、マジックが流されているにもかかわらず、カップ&ボールが演じられることはまれです。

前田知洋氏が、かなり頻繁に 「チョップカップ」 を演じていましたが、それでも一般客に対する浸透度は、かなり怪しいものです。

少なくとも、それほど構えずにカジュアルに演じる際には、「ファイナル・ロード」など必要ありません。 実践派の人は体験ずみかと思いますが、いわゆる 「悟空の玉」 (カップの底を、3回ボールが貫通する、比較的やさしい手順) だけを演じても、観客からは充分な反応が得られるはずです。

つまり、最後の部分がなければ 「もの足りない」 のは、大抵の場合、演じている当人だけなのです。 

自分が、難しい技法や手順を行っているといった、「達成感だけのため」 に、結果的には無理な技法を駆使することになり、しかも手順もどんどん長くなって…… 観客側も(見たくもない)やり方が透けて見えるは、マジックの途中でもうあきてしまって、どうしようかと考える頃に、ビッグ・クライマックスがあり、何とか終わってもらえてホッとする。  よって、拍手がおこる…… (-_-;)。

キツイようですが、それが現実の姿です。 要するにクライマックスがないと、演技を終了できない演者が、圧倒的に多いのです。

これは、すべてのマジックに対していえることですが、例えば3段で構成されているトリックがあったとして、「3段目のオチのためだけに存在する」 1、2段目というのは、絶対に良い考え(手法)ではありません!

1段目、2段目、ともに不思議であったり、充分におもしろいものであったりして、観客の方が自ら、「もう一度見たい」 そう思うからこそ、「オチ」の部分が生きるのです。

すでに自分の得意とする手順をお持ちの方も、それが自分にとって、負担となる、無理のある技法を使ってはいないか、また、余裕をもって、しっかりと、観客とコミュニケーションできる程度の長さの手順になっているのかどうか? 再考してみてはいかがでしょう。

次回は、ファイナル・ロードのための、タネ明かしについて考えます。

 

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