先月大阪でお世話になった真田氏が毎日ブログを更新されており、読んではときどきうなってみたり、身につまされたり、うなずいたりしております。
昨日のブログでは、「最初から高度で完成された手順をつくるのではなく(というか、それはまあどだい無理なことですから)、基本的な手順を(良い解説書の具体例付きで)しっかりマスターして身の回りの人に見せることからはじめよう」 という話をされ、「名人も達人も素人から」 という一文で結んでおられました。
本当にまあ、あきれるくらい当たり前のことではあるのですが、なぜかマジックに関してはこれが分からない方が多いようです。
実際に名人になれるかどうかはまた別の問題ですが、少なくとも「なりたい」という願望があるのであれば、最初の一歩から順番に進む必要があるのは常識でしょう。
先走ってばかりで上っ面だけ、さらにはそれさえも危うい人の割合が少し増えているような気がします。
おそらくここ10年ほどの間に恐るべきスピードで増えた“情報量”の問題とも無関係ではないでしょう。
トリックのレビューらしきことをブログで行っている人もずいぶん増えましたが、大抵は個人の好き嫌い“のみ”のモノが多く、参考ななるどころか間違っている場合や、誤ったイメージを与えている場合もあり、危ないことったらありません。
(無論 まっとうなところもありますよ)
ある程度マジックに詳しい (ここの基準もあいまいではあります) 愛好家であれば、思わず顔をしかめたり、ひいたりしそうな文章がいくらでも見つかりますが、先日 「ついにここまできたか……」 と思ったのは、
「演技を見てびっくりしましたし不思議でしたが、解説をみたらギミックだし準備が必要なのですごくがっかりしました。私は準備のいるマジックは嫌いです」 というもの。
う~ん。こういった人はマジックにいったい何を求めているんでしょう?
例えばカタログを読んで方法論が分からずに買ってみたら、全然想像した現象と異なっていた。とか、現象は確かに正しかったが、付属のギミックが使い物にならなかった。 そういったタイプの 「がっかり」 であれば理解できるのですが…… 映像とはいえ実際の現象を見て、十分に騙されていて (これだけでもうれしいことなのに!)、しかもそれが自分では思いもしなかった回答であった (ミステリなら100点でしょ) にもかかわらず、結局 「準備が嫌いです」 が結論とは (^_^.)。
これってマジックをしない一般客の感想であれば (タネ聞いてがっかりといった) 説明もつかないではないのですが、高度なレクチャービデオやDVDの感想をびっくりするくらい書いている上に、準備が嫌いって言うことは明らかに演じる側なんですね。
いや、単に書き方として 「不思議ですが、自分が演技をするときはあまり準備の必要なマジックをしないのでそこは残念でした」 とか、「映像を見て、これで特別な準備やギミックが必要なかったらどうしようかと思いました」 なら分かるんですが、最後に個人の勝手な (しかもネガティブな) 感想でしめられてもねえ……。
以前ツーショット写真を求められて快く応じたら、ブログに写真入で 「つまらなかった」 と書かれてショックを受けた芸人さんの話を紹介しましたが、要は同じタイプの人間なのかなと。
小冊子 『トランプタイム』 のなかに、より良い演者になるためには、“マジックを見るときはなるべく観客の視線で素直に見るクセをつけましょう” と書きました。
お持ちの方は是非もう一度チェックしてみてください。なぜそうすべきなのか? 真田氏の一文 「名人も達人も素人から」 は、そういった視点でとらえて見てもおもしろいかなと。
例にあげたような書き方の感想を続けているようでは絶対に理解できないでしょうけど。
コメント