カップ&ボール再考 7

19日、お昼のNHKご覧になったでしょうか? 私、先ほどビデオにて見終えたところです。Dr.ズマ&カズ・カタヤマさんによる生マジックの日でありました。

先週のmML収録にてお話していた通り、カズ氏はカップ&ボールの演技だったのですが、時間の限られている生放送ということで、約5分間の演技でした。

ちなみにmMLでは、10分間のフル手順が見られますので、比較してみるとおもしろいでしょう。

さて、ここまで回を重ねているわりには、ファイナル・ロードや、そこにまつわるタネ明かしの問題などに、少々文字(時間も)を費やしすぎたような気がします。ここからは、もう少し基本的な部分にクロースアップしてみましょう。

先日カズ氏とお会いした際にも(収録とは別で)取り上げられた話のひとつで、初心者はいきなり3つのカップを使うよりも、「チョップ・カップ」のようなシングル・カップからはじめた方がいいのでは?という意見があるのですが、これはおそらく「クライマックス」のためのロードを、計3回も行うことの難しさに端を発している意見だろうと思われます。

※卓上のスペースが限られているといった、テーブル・ホッパーのような特殊な条件は、ここでは考えないことにします。

実際、最後のビッグ・クライマックスだけが目的の場合は、確かにそれで充分なのですが、ここで考えたいのは、そもそも何故カップ&ボールは、伝統的に3つのカップを使うのか?という問題です。そこには当然理由があり、その部分を充分に理解していない限り、先へは進めません。

ここで私なりの説明を展開しようと思い、昨日久しぶりに、たまたま泡坂妻夫さんの「天井のとらんぷ」を再読しておりましたら、いやはや……私が書こうとしていたことが、ほぼそのまま文章になっておりました。

……要するに、以前読んでいた同じ文章が、私の頭の中にインプットされていて、すっかり元の出典を忘れていたようです。 いや~危ない危ない。^^;

という訳で、以下に氏の名文を引用したいと思います。ちなみに、実際はカップ&ボールの歴史や魅力についても書かれているのですが、ここでは私が書いておこうと思っていた部分のみ抜粋したいと思います。

※「天井のとらんぷ」は、若くして引退した、美しい女流奇術師が探偵として活躍する短編集で、ミステリファンはもちろんのこと、マジックファンにもオススメです。

 

  私は三つのカップを取り入れたことによって、奇術家は新たに三本の手を得たのだと思う。人類が演じた最初の奇術は、二つの手と一つの品物(例えば小石)を使ったものである。手の中に握り込んだボウルが消えてしまう。或いは、左手のボウルが、いつの間にか右手に移動する。これは奇術の基本であり、完璧さを要求される技法だが、それだけでは変化に富む劇的な奇現象は続けられない。それには、もっと多くの「手」が必要である。

 「握られた手は、伏せられたカップに同じである」 ということを思い付いたのは誰か判らないが、そのとき奇術は飛躍的に発展したのである。  ー中略ー  三つのカップは奇術家の二本の手に、三本の手を加えたと同じ意味を持つ。

さらには、そこにポケットを加えて、奇術家は六本の手を使い、奇現象を多彩にし、奥深い変化を加えることができるようになったというわけです。

当然ボールが一個しかない場合と、三個使える場合とでは、実際に起こせる現象の数が、飛躍的に変わります。それこそ、カップやボールが一個では、 「ビッグ・クライマックス」 でもない限り、名人でも演技を終えにくいことでしょう。  続く

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