温度差

昨年某コンベンションに参加して「テーブル・ホッピング」をする機会があったのだが、観客がマニアの方々であるということを差し引いても、少し気になったことがあった。

それは、ひとつのトリックが終わるか終わらないかの内に、「今のはいつ発売されるんですか?」とか「それはどのDVDですか?」等といった質問が(堂々と演技の途中で)飛び出てくることである。

正直この時に行われた「ホッピング」というイベントに関しては、学生たちがやりたい放題であったり、 誰がゲストで誰がそうでないのか? はたまた誰がプロで、誰がアマなのか? 主催者の意図が全く見えず、観客のみなさんも結構大変だったんじゃないかと想像するのだが、それにしても一般の視線に近い方々もおられたようなので、上記のような態度は少々行儀が悪いんじゃないかと思ったりしたわけです。

一応ショーの途中なわけですから、どうしても気になれば、それは後で聞けば済む問題です。

で、ここまでは、いわば一般常識の範疇における礼儀のお話なのですが、ここで書きとめておきたいポイントは、実はその部分ではありません。

私が自分で考えたり、構成した作品を様々な形で発表しはじめてから、随分と時間がたちましたが、特定の対象に絞られた「マジック教室」や「個人レッスン」といった時以外は、ゆうきが他人のために作った作品を発表することは、実はほとんどありません。もちろん存在はするのですが、そのような仕事は「ゆうき」の名を大きく表に出すことはないので、あまり多くの方に知られてはいないハズです。

文字であれ映像であれ、それが商品として世に出て、それを正規のルートで手に入れた人が、それをどう活用しようと、まわりに迷惑でもかけない限りは自由なのですが、私自身はいわゆる「クリエーター」でも「ディーラー」でもありません。大抵の作品は“ほぼ間違いなく、自分のために”作られたもので、その本当の意味での使用方法や、製作過程の事情を全て公開する必要もなければ、そのような時間も実際にはありません。

あくまでも個人的に時間の許す範囲で、トリックの概要を公開しているだけであり、それをたまたま手に入れて、うまく活用してもらい、また、それによってそのトリック自体が発展してもらう分には、とてもうれしいのですが、実際のところ、どーも逆で、ゆうきはトリックを発表するために、多くの作品を作っているかのような言われ方をしていることもあるようです。

私は一流のパフォーマーをめざしているわけではありませんが、少しでもそーいった方に近づきたいものだと思っておりますし、奇術家の一番なすべき役割は、なるべく多くの一般客のみなさんに、生でより良いマジックを楽しんでもらうことだと考えています。そして、そのような意味において、常に生涯一プレイヤーでありたいと思っています。

作品集の発表は、あくまでも「そのための活動の一部」であるとお考えいただければ、この温度差も少しは縮まるのでしょうか?


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