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さて若い奇術家から提示された話の内容ですが、ネット上で 『ヴィジター』 に関する話題があり、その中でこのトリックの根本的な問題点として、フォーカードとセレクトカード以外のデックの存在意義がないのでは? といった意見があり、さらには実際に5枚のカードだけを使用した映像を見ることも出来たのだが、それって結局 『ヴィジター』 じゃないような気がする。

しかるにもしかすると 『じゃないような気がする』 ということ自体、あるいは奇術家の独りよがりのような気がしないでもない。 で、そのことについて最近考えているのであるが…… どうなんでしょう?

まあ、私の解釈に問題がなければそういった話なのでありました。

実際にはお酒の席であったことと、他にも数人の関係者がいたので、その場における話の内容をすべて記録することは物理的に大変なので、ここからは上記の問題に対する私個人の見解を (なるべく) 簡単に記すことにしましょう。

まず、5枚だけでヴィジターと同じ効果を達成すること、つまりパケットAからパケットBにセレクトカードが移動し、かつ次の瞬間にパケットAに戻る。そういった効果をまがりなりにも達成できたとして、それがはたしてヴィジターなのか?その疑問に関する答えはNOであると考えます。

確かに 『カードが二回移動する』 といった、現象面のみを突き詰めてしまえば、それが似たタイプのトリックであることは間違いないのですが、現実のマジックではそうはいきません。そこには前回も言ったように、方法論、その難易度、準備の如何、角度の強さ、といった、裏事情が常につきまとうからです。

私は肝心の映像を見てはいないので断言はできないのですが、想像するにかなり技術的にも角度的にも難しいであろうことは想像できます。重要なのはそういった面が表面上感じられず、元祖ヴィジターと同じだけのインパクトを観客に与えられるかどうかということでしょう。

実は達成できた段階で、カテゴリー的にヴィジタータイプのトリック、もしくは同じタイプの現象に対する別のアプローチということはできるのでしょうが、そもそもヴィジターの場合、現象と同時に方法論の部分に関するオリジナリティで評価されている作品なので、 『ヴィジター』 じゃない気がするというのは間違いではないだろうと思うのです。

さらに言えば、そもそもこういったカテゴライズ?自体が奇術家のためのものであり、観客にとってはまったく関係のないことだといえましょう。

※本末転倒ともいえますが、ぶっちゃけるとそうなりますね。読んでくれた方、ある意味すみません。

さて、ここでもう一つ考えるべきことは、そういった裏事情、つまり彼の言うところの奇術家の都合は、観客にとっては関係のないことであり、やはり現象面だけ考えること、より無駄のない道具立てを奇術家は目指すべきではないのか? といった疑問ですが、それ自体は大いに結構なことだと考えます。

ただし、これもまた前回触れていることなのですが、もし現実に観客の前での演技を想定した場合、上記のことだけに考えを集中させてしまうと、結果的に片寄ったものになりがちなことも確かであり、マジックが本当の魔法でない限りは、 《表面と裏面とのバランスあってのもの》 であることを再確認した方が良いのだともいえましょう。

ところでこの話の発端となった、肝心の現象面 (表面) に関してですが、実はここで 『ヴィジター』 自体のより正確な現象について考察しておく必要があります。 で、これはまた次回に。

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