西川美和監督の長編第二作目 「ゆれる」 観ました。
主役の二人の演技 (特に香川照之がすばらしい) もさることながら、脚本も手がけている監督(74年生まれ)の才能とパワフルさに脱帽!(ま、普段帽子はかぶりませんが)そして少し嫉妬です。
未見の人のために内容に詳しくふれるのは避けますが、ストーリーの核の一つとなるのが、黒澤明監督の 「羅生門」 のような、《一つの出来事が複数の目撃者によって、全く異なった解釈になる》 というパターンです。
「ゆれる」 においては、このようなミステリー的要素をからめて物語が進行してゆくものの、けしてその部分が主題ではありません。
少しばかり重くはありますが、人間の抱える根源的なテーマを扱っており…… まあこの先はぜひ劇場でご覧ください。 ^^;
ところで上記のような 《観客によって異なった解釈をしてしまう》 という原理のことを、フィル・ゴールドスティン(マックス・メイビン)が 「ラショーモン・プリンシプル」 と呼んでいるらしい…… という記述を確か松田道弘さんの本で読んだ記憶があり(たぶん「トリックとりっぷ」かな?)、具体例として 「パーフェクト・マッチ」 というカードトリックも解説されていたかと思うのですが、このミステリでいうところの 「ダブル・ミーニング」 にも似た原理に当時いたく感心し、その後しばらくしてから映画 「羅生門」 を観て、かなりビックリした覚えがあります。
何に驚いたのかというと、私自身は勝手に、とてもスマートな、理にかなった、いわば横溝正史の 「獄門島」 のようなものを想像していたのですが、実際は全くそれとは異なり、人間のいい加減さや、ホントに勝手な思い込み、悪意、偽善、その他さまざまな思惑の交錯した、非常に泥臭いものであったからです。
当時は正直がっかりもしたのですが、結局のところ作品そのものとしてはアレで良かったのだろうと思います。要は私自身が勝手にミスリードされていただけですから。
そして、人間ってやつは各々、ホントに勝手な生き物なのだから…… だからこそ、表現者、芸術家ではなく芸人(パフォーマー)は、細心の注意をはらい、自身の思惑をこそ、しっかりと観客に伝えなければならないのだと思ったわけです。
ま…… それだけのことです。 (^_^.)
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